育ち

学部間共通総合講座の時に、仙台から東京の府中の大学に来てみたら、街中に林が多くて驚いたという話をうかがった。同じような場所でも、私が育ったところは林がなく、戦時中の工員寮と見渡す限りの麦畑だった。麦畑は団地になった。団地の予定地の一部は、矢川緑地保全地域として保全されている。緑化宝くじのお金で、木を植えてしまったので、草原は少なくなった。
子どものときには、北側に樹液の出る木があった。この木は雑木林の断片だったのだろうか。